八勢川と観音堂の竹細工職能民

御船町九十九折(つづら)は、八勢(やせ)川上流に沿った古い集落である。源流の吉無田水源から九十九折までの清流にはヤマメが生息し、釣り人が時々訪れる。その九十九折には、かつて竹細工の職能民たちが定期的にやって来ていた。

八勢川の源流となる吉無田水源

大正生まれの九十九折の古老は、竹細工職人たちのことを覚えていた。「年に1回、秋になると観音堂に来ていた」という。九十九折の観音堂は、平成6年に地域公民館に建て替えられたが、それまでは板張り・縦3間半・横3間ほどの小さなお堂だった。
「来ていたのは60歳代の夫婦者で、籠や笊を作っていた。材料は近くにある観音笹で、品物は近くで売り歩いていたようだ。名前を聞くことはなかったし、どこから来ていたかもわからない」。夫婦者は、いつも1週間ほど観音堂に泊まって仕事をすると、何も言わずに姿を消していたという。観音笹とはオカメザサのことで、今も九十九折に自生している。
別の古老の記憶によると、戦後も竹細工の人を見かけている。ただし、観音堂に来ていたのは「若い男性だった」。家族連れではなく、いつも1人だった。戦前期に来ていた老夫婦とは別人である。
「どこから来ていたのかわからなかった。籠や茶碗メゴ、洗濯物入れなどを作っていた」という。その男性も昭和30年代になると、ぱったりと姿を見せなくなった。
熊本では移動竹細工職人のことを、「箕(み)つくろい」、「箕直しさん」、「カンジンさん」などと呼んでいたが、一般的には「サンカ」と呼ばれる人たちである。

公民館に建て替えられる前の九十九折観音堂

日本が高度経済成長期を迎え、プラスチック製品が急速に普及すると、地方の農山村でもプラスチック製の笊などが出回り、「竹箕」は必需品でなくなった。同じころ、熊本の中山間地を巡回していた竹細工の職能民たちは、忽然と姿を消すことになる。

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