木山川と肥後の白山信仰

木山川(益城町)を遡ると、明るい小盆地にたどり着く。阿蘇郡西原村河原である。ここには、木山川を前に白山姫(しらやまひめ)神社がある。全国の白山神社の総本山である白山比咩神社(石川県白山市)と呼び名は同じである。河原の白山姫神社の由来は次の通りである。白山比咩神社との関わりが示されている。

益城町と西原村の境あたりの木山川には渓谷の趣がある

「後花園天皇の御代宝徳2年(1450)、肥後守護阿蘇大宮司阿蘇惟村公の勧請により阿蘇家家臣緒方山城守経正(緒方家2代)が、白山信仰総本山である石川県の白山比咩神社から御分霊し、菊理姫命(くくりひめのみこと)を白山姫大神として村内の鎮守神として現在の小野の地に祀ったのが始まり。天文15年(1546)河原城主津留大炊介が神社の御論によって奉移、現在地に社殿も祀ったが、天文18年(1549)河原城は落城、津留大炊介も当神社で自害する」
これによると、白山信仰は阿蘇氏・阿蘇神社との関わりで肥後の地に勧請されたことになる。由来にある最初の建立地小野は、現在地より2㎞ほど南方の集落で、阿蘇南郷谷へ通じる地蔵峠の登り口にあたる。現在も集落奥の杉林の中に「白山姫神社旧地」の石碑が残されている。

白山姫神社旧地

熊本においても、白山信仰にかかわる地名や神社はいくつか見られる。八代市泉町の釈迦院近く、現在の白山頂上直下にあるのが白山権現である。同社の名は寛文9年(1669)以前に成立したとされる『肥後國八代郡金海山大恩教寺涌出釈迦院縁起』に出てくる。熊本市国府4丁目には白山神社がある。この地は肥後国の初期国庁域の東南隅にあたると言われている。また、熊本市和泉町には赤水白山比咩神社がある。山城国(現在の京都府南部)愛宕山白山権現からの勧請とされている。
東国を中心に広まった白山信仰が、遠い肥後にも存在することは一つの謎である。

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