鴨猪川と失われた山の暮らし

緑川支流内大臣川とともに戦前から大規模な森林開発が行われたのが、鴨猪(かもしし)川である。
内大臣川沿いに敷設された森林軌道は、国見岳(標高1739m)手前の広河原(ひろこうら)まで延びていたが、途中の角上(かくあげ)で鴨猪谷支線が分岐していた。
鴨猪谷支線は昭和元年(1926)に開設。角上から内大臣川右岸を下流側に向かって斜めに登り、稜線を越えて鴨猪谷に入っていた。最終的には総延長14,752mに及び、宮崎県境の三方山(標高1578m)直下まで延びていた。

前日の雨で笹濁りとなった鴨猪川

鴨猪谷支線が稜線を越える位置には中尾集落があった。20年前に訪れた時には、一軒の廃屋が残り、裏手には墓石群とともに氏神様の祠が新築されていた。さらに、中尾集落から緩やかな尾根を登った地点には大平集落があったが、人家跡の石組みだけが残り、あたりは植林地となっている。
昭和55年3月、緑川流域最大の開発拠点であった矢部営林署内大臣事業所が閉鎖。それに先立つ昭和42年には、鴨猪谷支線が廃止されており、鴨猪谷での営林事業も終焉を迎える。同じ時期、大平、中尾からも人の姿が消え、山の暮らしも失われることになる。
梅雨開けの8月、鴨猪川を訪れた。囲(かこい)集落を抜けて鴨猪林道に入ると、菅(すげ)、白糸、浜町、下名連石(しもなれいし)を見渡す高台に出る。さらに、谷奥へと向かうと、中尾集落跡へ繋がる作業林道が右手に分かれる。その林道も鴨猪林道も、かつての鴨猪谷支線軌道跡を広げて設けられたものである。
その日、鴨猪川は前日の大雨で笹濁りとなっていた。しかし、鴨猪林道をさらに奥まで入ると、陽当たりのよい斜面でコオニユリの花が風に揺れていた。

鴨猪林道沿いに咲くコオニユリの花

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