白川畑井手と鳥子川のガネウケ

白川のアユは「鮎返りの滝」(南阿蘇村栃木)の下まで遡上すると言い伝えられてきたが、実際には滝壷までアユがたどり着くことはないとされる。
黒川第二発電所(南阿蘇村立野)のすぐ下流に、「畑(はた)井手」の取水口がある。「畑井手」は、江戸初期、布田手永鳥子村外牧(現在の大津町)の篤農家国武主膳の発案で開削が始まっている。
主膳は、鳥子村宮山(現在の西原村)の生まれで、寛永11年(1634)、外牧で「畑井手」の開削にあたっている。井手開削は、細川藩の家老米田監物の許可を得て、御知奉行緒方勘右衛門のもとで行われた。「畑井手」の完成によって、白川南岸の外牧・錦野(大津町)に新田55haが拓かれる。
白川左岸沿いの県道145号を大津町中島から上流へと走ると、道は外牧の内牧橋で白川を渡る。橋の手前から畑地区への道が右に分かれる。川沿いの道は白川本流を目の前にして突然途切れ、「畑井手」の取水口と「畑井手」へ分流するための堰が現れる。

畑井手取水口近くの白川の流れ

「畑井手」の堰から河原に降り立つと、巨岩の連なりの間にヨナ混じりの小さな砂地が点々と続いている。堰から下は流れも穏やかで、ここまでならアユが遡上してもおかしくないと思えた。
白川上中流域での川魚漁は、梁(やな)やウケで捕るウナギとガネ(モズクガニ)が中心であった。梁にアユが混じるようになったのは、アユの放流が始まってからという。
「畑井手」からの帰りに、国武主膳の出身地・宮山に寄ることにした。途中、白川の支流鳥子川で、細流に仕掛けられたガネウケを見つけた。

鳥子川に仕掛けられたガネウケ

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