平野谷の幻の轟と銅鉱山

五木村の新五木川発電所横から林道北西谷線に入ると、平野谷の奥へと向かう。しばらく登ると、林道は落石によって突然行き止まりとなった。だが、谷底からは渓流の水音が響いている。
林道奥で出会った老人は、和蜂の巣箱の手入れに来ていた。立ち話をすると「砂防堰堤が出来る以前、この谷には地付きのヤマメがたくさんいた。放流ものと違うのは口が大きいこと。産卵時期にはヤマメは平野谷を下る。昔は竹で作ったウケを瀬に仕掛けていると大きなヤマメがたくさん獲れた」という。

二次林に挟まれた平野谷の流れ

林道が開削される以前、平野谷沿いには山仕事の道があり、白髪岳(標高1244m)直下まで延びていた。「谷奥には大きな滝が2つあり、上の轟(とどろ)、下の轟と呼んでいた。今は昔の山道は絶えてしまい、滝の近くまで行くことさえも難しいだろう」という。
老人は「私が若いころ、平野谷には銅山があった。谷沿いに索道を張って、鉱石を本流(川辺川)との合流点近くまで降ろしていた」。平野谷の銅鉱山は、昭和20年代まで存続したという。
平野谷からの帰り、近くの平野集落に立ち寄った。川辺川沿いの国道から急な自動車道を上ると、道路脇にイワタバコの花が咲き乱れていた。集落まで登ると五木阿蘇神社の横に出た。社の目の前には文化4年(1807)に平野で生まれ、江戸相撲で活躍した大関熊ヶ嶽の墓が建っていた。

平野集落へ上る自動車道脇にイワタバコの花が咲いていた

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA