アユ舞う那良川と白浜森林軌道

球磨村の那良口(ならぐち)に架かる橋のたもとで、アユのことを尋ねた。「那良川にもアユは遡上してくる。球磨川が増水した時にはマスが上って来る。俣口(またくち)にはヤマメもいるが、那良口でも20cm以上のヤマメが釣れる」という。那良川の川面に視線を向けると、石垢を食(は)みながら水中で舞うアユたちの姿が見えた。
那良川源流域の白浜国有林から那良口まで白浜森林軌道が敷設されたのは、明治44年のことである。延長1万1580m。白浜森林軌道では、那良川上流から作業員が、木材や炭を積んだ台車を操作しながら那良口まで下った。戻りには、馬が台車を牽いた。そのために那良口に馬小屋が設けられ、馬が待機していた。
那良川右岸をひたすら下ったトロッコ道は、本流との合流点100mほど手前で左岸に渡る。その橋を地元では「トロ橋」と呼んだ。昭和30年代には「トロ橋」が残っており、下は深い渕となっていた。夏になると、子どもたちは「トロ橋」から那良川に飛び込み、肝試しをした。
森林軌道は、近くの肥薩線那良口駅まで延びていた。那良口駅前には日本通運の事務所があった。人力で回す起重機が置かれ、炭を保管する炭小屋が3棟建っていた。駅構内には貨物側線と木材積み込み用ホームが設けられ、那良川上流から搬出した木材や炭を国鉄の貨車に積み替え八代方面へと下った。

俣口地価の那良川の流れ

森林軌道の起点である白浜国有林には、営林署の官舎があった。那良口には、これら那良川流域で暮らす人々を相手にした雑貨屋や酒屋、衣料品店、鮮魚店があり賑わった。商店は那良川上流まで荷を背負い、行商に赴くこともあった。昭和29年度いっぱいで、白浜森林軌道は廃止となり、トラックが木材や炭を搬出することになった。
那良口から俣口集落まで自動車道を上った。俣口近くまで来ると谷が狭くなり、両側の稜線が近づく。自動車道から谷沿いの棚田への農道を下るとヤブランが点々と自生し、ちょうど花期を迎えていた。

那良川沿いの棚田の脇に咲くヤブランの花

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