山野川のサザンカと最後の警笛

矢城山(標高585.9m)に登った時の記憶は、かすかにしか残っていない。ただ、その日が昭和63年1月31日だったことだけは間違いない。
その日、矢城山中にディーゼル機関車の鳴らす長い警笛が響いた。その時は気にとめなかったが、数年後、その日が山野線最後の日(昭和63年1月31日)だったことに気が付いた。警笛は、沿線の人たちに別れを告げるためのものだった。
国鉄山野線は、熊本県水俣市と鹿児島県栗野町(現在の湧水町)の間を55.7キロで結び、16の駅が設けられていた。昭和12年12月に当時の芦北郡久木野村と鹿児島県山野村布計(ふけ)間が完成することで、山野線全線が開通。熊本県境に隣接した鹿児島の薩摩布計駅近くには、金を採掘していた布計鉱山があり、山野川流域は大いににぎわった。

山野線薩摩布計駅跡。機関車の車輪が残されている

山野線最後の日から30年たって、鹿児島県伊佐市側から山野川を遡った。羽月川沿いの国道268号から山野川沿いの県道に入り、石井川内(いしごち)集落を過ぎる。すると谷が一基に狭くなり、照葉樹の森が迫ってくる。
目的地の薩摩布計駅跡への途中、木地山(きじやま)集落で立ち話をした。地元の人から「昔はここで木地師が仕事をしていたらしい」と聞いた。そして、水俣病が大きな社会問題となるまでは、水俣から山野線に乗って多くの魚の行商が来ていたという。
薩摩布計駅跡からの帰り、山野川の渓流際まで降りた。谷には古い橋が2つ架かり、使われていない下流側の橋のたもとで川岸に出てみた。晩秋の流れは冷たく水流も激しい。足元をすくわれそうになって、思わず橋脚にしがみついた。
橋脚のコンクリート台座に這い上がり、向こう岸に目をやると、白い花が咲いている。水流に逆らいながら対岸にたどりつくと、花を咲かせていたのはサザンカの大木であった。巨石に這い登り、花をしげしげと眺めてみた。一重の花びらが太陽に向けて開き、周りにたくさんの蕾がある。満開の時に訪れてみたいと思った。

山野川の流れ。左岸奥のサザンカに白い花が満開となっている

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