岩野川源流と菊池一族

『鹿北町誌』(昭和49年11月、鹿北町役場発行)には、「茂田井川(岩野川源流)上流には『菊池のり』が生じていますが、これは昔菊池氏が『へこ』(ふんどし)を洗ったので『菊池のり』ができるようになったといいます」と記載されている。
菊池氏が活躍していた南北朝期、岩野川(菊池川支流)流域は、筑後に対する菊池氏の外郭陣地となっていたとされる。茂田井は岩野川最上流の集落で、南側の尾根を越えると内田川の谷となり、そこからは菊池氏の本拠地隈府(わいふ)は近い。
茂田井の古老は、「今はわからなくなっているが、菊池に通じる山道があった。『菊池さんのわくど(湧水)』や『菊池さんのニラ畑』『菊池さんの馬かけ場』という地名も残っている」という。
一方、茂田井から筑後側に越える峠道もあった。「こちらではゴゼ峠と呼んでいた。戦後しばらくまで、峠を越えて八女から行商の人が大きな風呂敷包を背負って反物などを売りに来ていた」。
岳間渓谷で岩野川まで下降した。渓流は岩盤の上を流れ、小滝と浅い淵が点在している。水温は想像したよりも低い。

岩野川源流の流れ

ヤマメのことも地元で尋ねてみた。「昔は夕立があると水が濁ってヤマメが獲れると言って、親が農作業を切り上げて釣竿やホコを取りに家に戻った。10月ごろになると岩野川の砂地ではヤマメが産卵していた」という。
渓流の浅瀬から這い上がり、国見山登山口に向かう林道に入った。茂田井から奥はスギやヒノキの森となり、その中を岩野川源流が流れる。源流沿いでは、オタカラコウ、ツリフネソウ、オオマルバノテンニンソウ、ジンジソウなどが花期を迎えていた。

岩の上のジンジソウ

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