内大臣川に森林鉄道の痕跡を見た

旧矢部町(現上益城郡山都町)の内大臣渓谷では、国有林からの木材搬出に森林鉄道(トロッコ軌道)が活躍していた。内大臣森林鉄道は、大正4年(1915)度に西砥用町清水(現下益城郡美里町)から白糸村目丸(現上益城郡山都町)までの緑川線13,691mが開設される。それを皮切りに、昭和34年(1959)度までに、内大臣川広河原から甲佐町宮内の甲佐貯木場まで、総延長42,550mの森林鉄道が敷設された。

甲佐町宮内の緑川に残る内大臣森林鉄道鉄橋跡

さらに本線とは別に、内大臣川支流への小松谷支線(総延長414m)、西内谷支線(総延長6,674m)、北内谷支線(総延長1,235m)、隣接する鴨猪谷へ延びる鴨猪谷支線(総延長14,752m)が設けられていた。
内大臣林道を遡ると、険しい岩壁に沿って鉄道を敷設した痕跡が、現在でもかすかに残されている。支流谷を横切る場合は、かなりの急カーブとなり、トロッコを牽引する汽動車のターンテーブル(転車台)があった「二本杉」(五家荘入口の二本杉峠とは別)から奥は勾配がきつくなる。直線・平坦な軌道が続くことは、なかったのである。
曲がりくねった渓谷沿いに、どのようにしてレールを敷設したのか。下流から上流に向けて軌道は延ばされていったが、レールの曲がり具合は現地で調整された。その時に使われたのが、「甚九郎」と呼ばれる鉄製の道具である。
「甚九郎」でレールの2ヵ所を挟み込み固定し、中間点にネジ込み式の鋼鉄棒を垂直に当て、「甚九郎」先端の横棒を回す。横棒が回るとネジ込み式の鋼鉄棒が食い込み、テコの応用でレールに圧力をかけ、曲線をつくっていた。人力でも曲げられたのは、レールが一般鉄道用に比べ、かなり細かったためである。
9月になると内大臣渓谷には、かすかに紅葉の雰囲気が感じられる。渓谷を「二本杉」まで登ると、急に空気がひんやりとする。内大臣林道は、「二本杉」で右岸に渡り、東内谷を横切ると谷が広がる。その奥が森林鉄道終点の広河原である。

広河原では谷が広がる

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