美生川と嫁入り峠の三ッ尾根

高度経済成長期までは、たとえ山間の小さなコミュニティであっても、村と村を繋ぐ「婚姻のネットワーク」が存在した。今は、過疎化と少子高齢化で、そんなネットワークが失われて久しい。
氷川支流河俣川沿いの県道から美生(びしょう)川沿いの自動車道へ入ると、石垣を組んだ棚田群が現れる。川沿いに美生集落(八代市、旧東陽村)までのぼると谷が広がり、人家も増えてくる。

美生集落を流れる美生川

美生で古老に昔の暮らしぶりを尋ねると、球磨川支流の旧坂本村深水(ふかみ)とのつながりを教えてくれた。
「谷奥の峠を越えるとすぐに八代の深水。深水のなかでも九折(つづら)と岳(たけ)との行き来が盛んで、深水からたくさんのお嫁さんをもらっている。だから、今でも多くの家が深水に親戚がある」という。
自動車道が整備される以前の美生は、八代へ出るには河俣川沿いに下るよりも、峠を歩いて越えた方が便利だった。美生から深水まで、峠越えで1時間半ほど。ほんの50年ほど前まで、美生の谷で焼いた樫炭を背負って深水まで半日で行き来していた。
美生集落から、深水へつながる峠直下の小原(こばる)集落まで登ってみた。小原で峠越えの山道のことを尋ねると、稜線を指さして「峠のあたりを三ッ尾根と呼んでいた。尾根に上がる手前で三差路になっていて、まっすぐ登ると九折。左に登ると岳につながっていた。昔は瑞宝寺の和尚さんが、深水の門徒の家まで峠越えで通っていたし、深水から嫁いで来る女性は嫁入り道具を背負って峠越えしていた」という。
小原から戻る途中、美生滝へ立ち寄った。滝壺の水は深い濃紺色である。昔、深水から峠を越えてやって来たお嫁さんたちも、美生滝を目にしたのだろうか。

美生滝

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