大ヤマメの内田川と御番所

「子どもの頃、クモやカエルを餌に30センチ、40センチのヤマメを釣っていた」。山鹿市番所(ばんしょ)集落の古老が語った内田川上流での思い出である。
「釣ったヤマメの食べ方は刺身や塩焼きにした。おもしろがってたくさん釣って帰ると、じいさんから『食べるしこしか釣るな』と怒られた。50センチクラスの大ヤマメもいたが、馬の尻尾の毛をよりあわせた釣り糸でないと釣り上げることはできないと言われていた」という。
山鹿市来民から県道9号を内田川沿いに上ると番所(ばんしょ)集落である。昭和10年代に馬車道が延びるまで、日田往還は矢谷(やたに)阿蘇神社鳥居前で内田川支流クワヅル川を渡り、番所の入口に出ていた。江戸時代、クワヅル川を渡った地点には、細川藩の「御番所」(ごばんしょ、関所)が置かれていた。

内田川クワヅル谷渡河点。渡った先に御番所が置かれていた

番所には地元で「荷おろし」と呼ぶ大岩がある。日田往還では牛馬の背に荷を積み、肥後と豊後間を行き来した。だが、番所まで来ると、大岩がせり出し道幅が狭い。「荷おろし」前でいったん荷をおろし、牛馬と荷を別々に通さなければ先へは進めなかった。
番所の上流が威(おどし)集落で、その奥は国有林となっている。地元で地名の由来を尋ねると「上流に『嫁おどしの淵』があって、昔は遠くから嫁いで来た女性に淵を見せて驚かせていた」という。

内田川上流の流れ

威からさらに日田往還を上り詰めると、宿ヶ峰尾(しゅくがみねお)峠。鯛生(たいお)金山の最盛期には、峠をコメや醤油、酒などを積んだ牛馬が行き来した。戦後も、多くの人たちが歩いて峠を越えた。相良(あいら)観音の春の大祭には、豊後方面から登ってきた多くの参拝者が、宿ヶ峰尾峠から番所や威へと下った。
威から県道9号線を峠まで自動車で登ると、峠に「宿ケ峰尾不動尊」があった。祠(ほこら)まで石段が築かれ、人の歩いた痕跡が残されていた。

 

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