雪の五ヶ瀬川と胡麻山越

車が鞍岡(五ヶ瀬町)に着いたころは一面の雪景色となっていた。鞍岡から本屋敷(もとやしき)まで登ると、時々雪雲が切れ、弱い陽光が差し込む。五ヶ瀬川の河原には雪が残るが、岸辺からは雪溶けの水蒸気が立ち上っている。雪はようやく止んだ。だが、椎葉につながる稜線は霧に覆われ、見通すことはできなかった。

五ヶ瀬川沿いに本屋敷まで上ると稜線もかすんでいた

西南戦争で西郷軍に加わった佐々友房が書き残した『戦砲日記』(青潮社発行)には、御船から退却した熊本隊について次のように書かれている。
「廿三日午時男成神祠ニ於テ招魂式ヲ行ヒ開戦以降、戦死者ノ英霊ヲ祭リ併セテ新隊編成ノ親睦ヲ表ス(以下略)」。明治10年4月23日、熊本隊は池辺吉十郎大隊長以下全員が男成(おとこなり)神社(山都町)境内に集まり、熊本隊の再編成を行っている。
翌4月24日、熊本隊は人吉を目指して行軍を開始する。25日には馬見原から五ヶ瀬川沿いに進み、鞍岡を経て本屋敷に向かった。本屋敷に到着した熊本隊は、佐々隊(佐々友房隊長)と北村隊(北村盛純隊長)に分かれ、佐々隊は胡麻山(ごまやま)越で椎葉胡麻山へ。北村隊は波帰(はき)川沿いに登り、霧立(きったち)越で椎葉尾前(おまえ)に抜けたとされる。
かつて、佐々隊が越えた胡麻山越を歩いたことがあった。本屋敷から林道をたどり、さらに稜線に沿った山道を歩くと、スズタケの繁った胡麻山越にたどり着いた。戦前期まで椎葉からの駄賃付けが行き来していたとされる峠には、割れた甕が土に半分埋まったまま残されていた。

胡摩山越に残されていた割れた甕

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