東内谷と消えた内大臣の暮らし

内大臣渓谷(上益城郡山都町)で本格的な森林開発が始まったのは、大正期のことである。大正5年(1918)、浜町営林署内大臣事業所が開設され。大正7年には、営林署立の分教場「内大臣家庭教育場」が設けられている。
最盛期の内大臣集落は、「下土場」、「上土場」、「川越」の3地区に分かれ、中心地には事務所や集会所、売店、軽便鉄道の引き込み線などがあった。さらに、支流の西内谷には「龍の髭」、内大臣川上流には「二本杉」と呼ばれる小集落があり、森林作業員が暮らしていた。戦後になり、「二本杉」には、ディーゼル機関車を方向転換するためのターンテーブルが置かれた。
無人となった内大臣集落跡を左に見ながら椎矢林道を登ると、目丸発電所につながる取水口が現れる。その先で林道は右岸に渡る。あたりが、かつての「二本杉」である。さらに林道を上り詰めると、東内谷へ向かう林道が分かれる。

東内谷でヤマメを狙う

東内谷の堰堤下で同行者が竿を延ばした。餌はミミズ。広葉樹がびっしりと茂り、晴れた日なのに谷底は薄暗い。堰堤下では思ったほどのアタリがない。下流に移動し、浅い小淵が連続する地点で再び竿を出してみた。同行者は身軽に渓流を移動し、こまめにポイントを探す。足元に注意しながら後ろ姿を追っかけているうちに、岩の上で息を殺していたガマガエルに気がついた。

渓流沿いの岩の上に潜んでいたガマガエル

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