枳之俣川と消えた米の窪への道

20年ほど昔に登ったことのある米の窪(こめのくぼ、標高673m)を再び訪れようと思い立った。八代市坂本町中津道で球磨川本流沿いの国道219号と別れ、市ノ俣川沿いの舗装道路を1キロほど上流へ向かうと、今度は枳之俣(げすのまた)川が左に別れる。枳之俣下流は比較的フラットだが、上流へ向かうとすぐに谷が狭まる。
麓の枳之俣集落で山道のことを尋ねてみたが、登るのを止められた。「米の窪への道は、もう消えているからやめたほうがいい」。
枳之俣から望む米の窪の山頂は、見上げるような尾根上にあるが、かつては人が頻繁に登り降りしていた。枳之俣の5戸が組合をつくり、米の窪に養蚕小屋が設けられたのは昭和23年ごろである。米の窪の山頂は平坦で、麓では想像できないほどの広さがあった。桑を栽培することが可能だった。
「最初は米の窪まで人がやっと登れる程度の山道しかなかった。肥料を担ぎ上げるのも大変だった。麓との間に索道を通してからは肥料運搬も楽になった」という。索道のワイヤーに鉄篭を下げ、肥料や繭を運んだ。ワイヤーの巻き上げも最初は人力頼りであった。養蚕事業は昭和40年ごろまで続いたという。

照葉樹林の中を流れ下る枳之俣川

米の窪まで登るのはあきらめて、枳之俣川まで降りた。集落内は護岸工事で人工的なものに変わってしまったが、その下流は照葉樹の森の中を流れる。カシの木につかまりながら、岩混じりの急斜面を谷底まで下ると、前日までの豪雨で渓流は濁っていた。
枳之俣からの帰り、谷に渡された錆びた索道を見つけた。ワイヤーには鉄製の篭がぶら下がったままになっている。米の窪の索道もきっとこんなものだったのかと想像してみた。

枳之俣川沿いで見た索道

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