五家荘福根谷と峠越えの山道

自動車道が整備される以前の五家荘(八代市泉町)では、峠越えの山道が生活道路であった。五家荘仁田尾(にたお)の福根(ふくね)では、「昔、ここから泉村役場のあった落合(おちあい)まで歩いて5~6時間だった」という。
「福根谷沿いの山道を登り、大金峰(だいきんぽう)と小金峰(しょうきんぽう)の鞍部を越え、水無(水梨)から菖蒲(しょうぶ)谷まで下る。さらに、菖蒲谷沿いに朝日(わさび)峠に登り、峠から西に向かうと横手(よこて)から役場のある落合に出た」。

福根谷に架かる木の吊り橋

朝日峠からは、旧砥用町(現在の美里町)に下る山道もあり、早楠(はやくす)につながっていた。「米、味噌、醤油などの食料品は砥用で仕入れていた」という。
一方、福根から谷内(たにうち)川沿いの山道を経由して二本杉に出るルートもあった。福根からは干しシイタケ、アズキ、炭などを馬の背に積み、二本杉経由で早楠まで運んだ。アズキは米と同じ価値があったという。仁田尾ではコバ作(焼畑)が盛んで、アズキ、ヒエ、アワ、トウキビ、ダイズ、ダイコンなどを作った。
また、福根谷沿いの山からは、ケヤキ、シオジなどのほか、樽丸材のスギ、ゲタ材のクルミ、バットの材料として高く売れたタモなどを搬出していた。タモは、角材にして人が背負って二本杉経由で下ろした。ほかは、主に木馬(きんま)で谷内川に運び、川流しで五木まで運んだ。
福根谷も谷内川も紅葉が始まったばかり。シマカンギクやノコンギク、アキチョウジの花が咲いていたが、いずれも花期は終わりに近づいていた。

谷内川沿いに咲くシマカンギクの花

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